最近ありがたいことにこのブログを見てくださる方が増えたので、
私の潰瘍性大腸炎に対する考え、食事療法についてなど一から分かりやすくお話させて頂こうと思います(‘ω’)
長くなりますが最後まで読んでいただけたら幸いです。
幼少期~学生時代
小さい時から私はとにかく風邪をひきやすく、よく熱を出す子どもでした。
しかもいつも40度越えの高熱。
みなさんの幼少期にも幼稚園をやたら休んでいた子いませんでしたか??そのタイプです。笑
小学校に入りプールを習いだしたことで免疫力がついたのか幼稚園の時ほど発熱することはなくなりました。
食生活についてですが本当に小さいころからお菓子ばかり食べていました。
母親はいつも働きながら料理を作ってくれていましたが
焼き魚料理が多く、私はそれらが好きではありませんでした。さんまやアジの干物は今も苦手です。フライになってたら大好きなんですけどね。
大人になって分かったことですが、ちょくちょくアレルギーがあったので本能的に好きではなかったようです。
父が作る料理は洋食中心で、オムレツ、ステーキ、パスタなどが多かったです。
なので子どもの頃は父が作る料理が好きで、父の方が料理が上手なんだと思っていました。笑
(母ちゃんごめんm(__)m)
高校生になりバイトをしてお金が手に入ると、学校帰りにしょっちゅう友達とファストフードに行くようになりました。
よく考えたら4食食べる日がしょっちゅうあったということですね。食べ過ぎだわ笑
幼少期から人よりたくさん食べる子どもでしたが、高校生になり友達のお弁当箱の大きさをみて
「私って人より量食べるんだな」って知りました。笑(‘ω’)
そして高校生になったくらいから生理痛が重くなり、痛み止めを飲まないと何もできないという状態になります。
生理中はほぼ毎日痛み止めを飲んで過ごしました。
幼少期程ではないですがたまに熱を出すこともあり、ほぼ毎年インフルエンザにかかっていました。
高校卒業後、専門学校に入りました。
これがまあーーー忙しくて課題がたくさん出ます。
通学に往復3時間とられるのでバイトなんてする余裕もなかったです。
バイトしながらだと学校の課題が提出期限に間に合わない、という感じです。
入学直後は緊張と環境の変化で、週末になる度微熱が出てだるかったです。
専門学校に入ってからお昼のお弁当を自分で作るようになりました。
最初は手作りで頑張っていましたが、そのうち冷食をぶっこんで、はい!出来上がり!!みたいなお弁当になりました。笑
それと、この頃から一人で祖父母の家に行くようになったのですが
父方の祖母(関西)は私が行くと、私の大好物のエビフライを毎回たくさん作ってくれました。
一気に10個以上食べていたと思います。笑
関西のわりと都会?に住んでいたのでデパ地下の美味しいお惣菜、パン、おやつをたくさん買ってくれました。
そんなこんなで暴飲暴食をすることが多々ありながら過ごしていました。
専門二年の時にインフルエンザが治りかけのときにウイルス性胃腸炎になり、このときは本当にしんどかったです。
今思えばかなり免疫力が下がっていたんだと思います。
夜遊ぶこともありましたが、食生活以外はそこまで不摂生ではなかったように思います。
まあでも相変わらず食べる量はすごかったです。
ミスドとか5個買ったら5個全部食べてたし、
ホールケーキは丸々ワンホール食べていました。
あとなんならマックはMのセットで全然お腹いっぱいにならない。笑 足りないよう😢

社会人~バセドウ病発症
専門学校を卒業しアパレルの大手企業に就職しました。
専門学校在学中の夏くらいから研修が始まっていて、人事の方は人間としても魅力的で
会社に入るのが楽しみでした。
が!!!入社式前日この楽しみだった気持ちは打ち砕かれます。
入社式前日に配属店舗の営業担当の方に挨拶をしました。
この時に、「あなたの配属先の店長は厳しいけど気にしないでね」と言われました。
その後すぐに人事の方に呼ばれ全く同じことを言われました。
え、そんなことある?!
一日も出勤してないけどもうやめていいですか???
入ってすぐに気づいたんですけど、ただの問題児社員でした。
店舗の電話で彼氏と電話してたし、彼氏と会う日は自分がシフト組むのいいことに
希望休(月3日しか使えない)使わないでただの普通の休みを使うし、店長なのに月3日も日曜日休むし。
(この会社では店長の日曜日休みは基本的に認められていませんでした。か、休むなら営業担当に事前申告。)
辞めるって言いだしたかと思えば有休消化したのに、やっぱり戻りたいとか、、
あなたがいない分を違う人が休み削って残業してるんですけど、、
そんなこんなでめちゃめちゃストレスが溜まりまくっていました。
ストレスに加えて、仕事が終わって地元につくのが23時くらいだったんですけど、
周りもサービス業の友達が多く、その時間から遊びに行くことが多かったです。
お酒も好きではなかったですが、少し飲むようになりました。
居酒屋に行くことが多かったのですが、ポテトフライ、明太うどん、揚げ物などをいつも食べていたと思います。で、毎回デザートも。
月に一度友達と行く焼肉が楽しみでした。焼肉屋さんではお肉のみを食し、その他の野菜は一切食べないという。なんというアンバランス、、
この時期は「野菜は水だからいらない。(^_-)-☆」とか言ってました。(ん-、バカなのかな???)
だいたい夜中3時くらいに寝て朝9時頃起きるという生活を送っていました。
ストレスと疲れが抜けないまま毎日過ごしていると当たり前ですが体力の限界が来ます。
ある日突然、高熱が出て全く下がらない、4日間40度、さすがにしんどい(^^;
大学病院で調べたところEBウイルスなるものに感染しておりました。
適切に処置していただき無事回復しました。
しかし約1ヶ月後今度は毎年恒例のインフルエンザにかかりました。
もうこのときすでに身体が悲鳴をあげまくっていたのだと思います。
まあしかし人間治るとその時の辛さを忘れてしまうのか、私が生活習慣を改善することはありませんでした。
というか「生活習慣改善」なんていう言葉自体、頭に1ミリもなかったです。
この頃ふと友達に、「汗かきすぎじゃない?おかしいよ。病院行ったら?」と言われました。
私は元々汗っかきなので、いつものことだ~と思い、全く気にしていませんでした。
しかし、この時の友達の言ったことは当たっていたと後になって知ることになります。
そのうちストレスの原因になっていた店長が移動になり、新しい店長がきましたが、今度はヤンキー時代を引きずっている40代後半の人がきました。
旦那と上手くいっているときは機嫌が良くて旦那と上手くいかないときは機嫌が悪いという分かりやすいタイプでしたが厄介です。
私はこの時まだ20代前半でしたので、今ほどメンタルが強くなかったのでそこまで上手に対応できませんでした。
この店長がきてから、残業代もつかない、有休も使えないで、正社員だったのに毎月の休日が7~8日休みで給料は手取り13~15万くらいでした。
年間で店売り億いったのに報酬が8000円だったときはほんと馬鹿馬鹿しいなと思いました。笑
ストレスは発散されるどころか蓄積されていく一方。
生活習慣も相変わらずです。
もはや疲れているのが当たり前で、逆に身体がだるくない瞬間がなかったです。
だんだんストレスで熱が出てしまうようになったため、解熱剤(ロキ〇ニン)をしょっちゅう飲んでいました。
生理中も毎日飲んでいたので、1ヶ月のうち2週間くらい服用していました。
そして謎の倦怠感から月に一度は病院に行き、抗生物質を貰うという生活をしておりました。
メンタルもしんどかったですが、体力的にしんどかったのが夏に駐車場の倉庫の中で冬物の検品して店舗に運ぶ、という作業がきつすぎました。
倉庫の中の気温って40度以上あるんですけど、もう秋物の服を着て店頭に立っているので上はネルシャツ、下はブーツ!!あっつい!!
汗だくで暑くて昼休憩に何も食べれず、3週間で5㎏くらい体重が落ちました。
この頃から食品アレルギーが出ることが増えはじめ、ある日突然首から下全身に赤いぼつぼつができました。
甲殻類アレルギーでした。
ここで大好きなエビとはお別れです😢
で、ここからさらに体調がおかしくなっていきます。
まず汗が止まらないことが多くなり、何もしていなくてもずーっと暑い。
異常にのどが渇いて1日4リットル以上水分を摂っていました。
心して飲む、とかじゃなくてのどが渇いて耐えられないんです。
異常にむくむ。これまでと比にならないくらい手も脚もパンパン。
食べても食べてもお腹いっぱいにならない。
お昼休憩もお弁当食べた後にお菓子をずっと食べてました。
おかしいなと思いつつ、ストレスだから仕事辞めたら治ると勝手に思っていました。
そしてストレスと疲れがMAXになった私は丸5年でこの会社を辞めます。
私、鼻呼吸が苦しくて鼻中隔湾曲症の手術をしたかったんですけど、なんせ有休使わせてくれないので
最後はもう「ふざけんな!!」となって辞めました。笑
営業担当に「やめます。」と伝えたら「ちょっとかわいいからって調子のんな。」という謎の捨て台詞を頂きました。
お???”ちょっと”じゃなくて”相当”の間違いだろ?(^^)なめんなよ(^^) ???
辞めてすぐ病院に行き鼻中隔湾曲症の手術のため入院しました。
鼻中隔湾曲症の手術は成功しましたが看護師さんに
「バセドウ病かもしれないので専門の病院行ってください」と告げられました。
びっくりしました。
すぐに紹介状書いてもらい大学病院へ。
はい、バセドウ病でした。
先生に「苦しかったでしょ?よくこの状態で働いてたね。」と言われました。
この時25才でしたが23才くらいからなっていたのではないか?というお話でした。
ここから2~3年療養します。
投薬での治療だったのですが3年くらいでようやく寛解と言えるような数値に落ち着きました。
この頃は食事に気を使って過ごすことも多くなりましたが、今考えるとまだまだゆるゆるの甘ちゃんでした。笑
だって毎日アイスクリーム食べてたし。。毎日お菓子食べてたし。。
そしてこのくらいの頃からたまに血便らしきものが出るようになりました。
ただ一回で治るのであまり気にしていませんでした。
なんだったんだ?で終わってました。
早い話、この時に病院に行っていればよかったのだと思います。
それと同時にこの頃、魚でヒスタミン中毒を起こすようになりました。
干物(ものによる)や鮮度の落ちた魚は食べられません。
家族全員同じものを食べて私だけアレルギー症状が出るような状態です。
26才の時、バセドウ病になったことを知った友達が健康セミナー?みたいなところに誘ってくれたので、初めてそういった場に参加しました。
そこで講師の方が「薬って石油からできているんだよ」と。
正直、何言ってんだ~ってそのときは思ってました。
みんな薬をやめて、健康になろう!!みたいな感じだったんです。
講師の方もなんですけど、聞いてる側もみんなそうなんです。友達も。
私だけ初めて参加で置いてけぼり、ぽかん。(..)状態でした。
毎日薬9錠飲んでるんですけど、石油飲んでるってこと??よくわからない、、という感じでした。
話は戻りまして、バセドウ病とわかってすぐに、母に知り合いのクラシックの音楽教室に通うことを勧められました。
これが本当に良かったです。
その音楽の先生は、私が小さくてまだ純粋だった時の気持ちを思い出させてくれたり、
波動が上がるようにたくさん協力してくれました。
先生は全く薬を飲まない方で、整体や東洋医学についてもいろんな話をしてくださって、
宇宙の話とかもしてました。笑
友達に宇宙の話すると、頭おかしくなった?とか言われるので、宇宙の話ができるのが嬉しかったです。笑
海外のコンサートでも現地の方々に神聖な歌声と称賛される程エネルギーが高い方で、
精神が本当の内側から癒されるという感じで、メンタルが安定していきました。
28才になり、投薬はずっと続いていましたが、どんどん精神状態も体調も良くなっていきましたので、社会復帰の練習として週に何度かバイトに行くことにしました。

社会復帰~潰瘍性大腸炎発症
それまでゆっくりのんびり過ごしていたのですが、なぜか予定がものすごく重なり、
沖縄旅行で暴飲暴食→サッカーワールドカップ観戦で気分良くなり飲めない酒を飲む→友達の結婚式で暴飲暴食→新しいバイト先のBBQで暴飲暴食
と続きました。(暴飲暴食は自分のせい)
そして次の出勤日、仕事場の方がカフェオレを差し入れでくださったのですが、私は元々コーヒーが飲めません。昔からコーヒー=下痢の人間です。
断るのも悪いので飲みましたが、一瞬でお腹の様子がおかしくなりました。
(おや、、お腹が痛い、ってかただの下痢じゃない!!!)
トイレ行ったら便器が血だらけでした。
さすがにびっくり仰天ですぐに病院へ行きました。
大学病院勤めの内視鏡検査エキスパートの先生が開業しました!的な病院へ行きました。
診察室でちらっと直腸だけ診てもらい
「99.9%潰瘍性大腸炎だと思う。」とのこと。
「ちゃんと検査しないとだけど、しんどいならフライングで潰瘍性大腸炎の薬出すよ。」とご提案いただいて処方してもらいました。
エキスパートは検査の予約もいっぱいで2か月先になるところでしたがキャンセルが出たので運よくすぐに検査出来ました。
ここで正式に潰瘍性大腸炎と診断されました。28才のときです。
先生に最初に言われたことは難病申請ができる件、投薬で治療していきましょうという治療方針、それから食べ物について。
「この病気は人によって、合わない食べ物がばらばらなので自分でみつけていくこと。それから、お酒は再燃しちゃう人が多いから、飲んじゃダメとは言えないけど気をつけてね。」
と言われました。
もともと好きでもない酒を飲んでいたことを反省した瞬間でした。。
そこから投薬と、病院で勧められた低残渣食を心がけました。
脂質と食物繊維を抑えて腸を刺激しない、という方法ですね。
時間はかかりましたが薬もよく効いていて、だんだん症状は治まっていきました。
これが29才くらいの話で、
この時は潰瘍性大腸炎の薬とバセドウ病の薬を両方飲んでいました。
バセドウ病も、潰瘍性大腸炎と同じで完治は難しく、薬で寛解期を維持しようという考え方です。
そして30才目前にして、ある方と婚約していたのですが婚約破棄しました。(この話は別記事で)
結婚の話がなくなったので、バイトではなく就職することにしました。
いわゆる士業関係の事務所だったのですが、持病のことを伝えた上で雇ってもらえることになりました。
最初の方は症状も落ち着いていましたが、ここから寛解期がどんどん短くなり、活動期がどんどん長くなっていきます。
違う記事にも書きましたが、苦手な人が一人もいないという奇跡的な職場だったのに
業務内容がストレスすぎました。
個人成績を毎日どころか毎時間出されるのでそれが嫌で嫌で、、
どんどんお腹が痛くなっていきました。
なのに、「薬を飲んでるから!」と油断し、「毎週金曜日はご褒美(^_-)-☆」とか言って
大好きな味噌ラーメン屋さんに行き、帰りはスタバで抹茶フラペチーノを購入、、
週一でこんな事やってたら当たり前ですけどお腹の調子はどんどん悪化していきました。
入社したての夏ごろ体調を崩してほとんど会社に行けない時期がありました。
涼しくなってきて復活していったのですが、冬になりまたもやインフルエンザにかかり
復活後すぐに感染性の胃腸炎になりました。(あれ、デジャブ・・・?)
そしてここからさらに潰瘍性大腸炎の症状が悪化していきます。
32才になってから食事療法を開始するまでの5ヶ月くらい(もっとかも?)ずーっと活動状態。。
デスクワークだから一歩も動かず、お昼食べた後に毎日タピオカ屋さんの黒糖タピオカ飲みながら仕事してました。
(薬飲みながらでもこんなことしてたら治るわけがない。。)
お腹が痛いのが当たり前になって、悪化すると分かっているのに食欲が抑えられない自分に嫌気がさしてきたころ、
S字結腸の部分が良くならないとのことで、ステロイドを追加。
これが一発で耳や鼻の粘膜が痒くなり、「あ、これ本当にダメなやつだ。」となりました。
エキスパートは人間もできているので、この件を報告すると、
「大丈夫だった?教えてくれてありがとうね。」と。
でも「完全にアレルギーだから、この薬は使えないから今まで通りの薬でもう少し様子見ようか。」となりました。
・・・私のS字結腸は、、?
これまでの薬で良くなってないから、というか確実に薬効かなくなってると実感しているし、
・・・「私ずっとこのままなのか?」「一生毎日何時間もトイレにこもるのか?」
1日10回~20回トイレだし、生理じゃなくてもナプキンつけてないと心配だし、常に腹痛に見舞われて、朝も途中下車のトイレの時間を加味して出発しなきゃいけないし、好きなもの食べてはお腹を壊す、、こんな生活もうしたくない!!!
そんなこんなでコロナが流行り始め、基礎疾患があることがなんだかこわくなり、
「私の頑張りどころは今だな。」という気持ちが芽生え、「寛解期とか言わず完治させる!!」と決心しました。

潰瘍性大腸炎 薬なしで完治を目指す!
まず旦那に「潰瘍性大腸炎を治したいので協力してください。」と宣言?しました。
で、この時点で少し仕事を減らしました。
食生活も大事だけど、ストレスを減らす=嫌だと思うことを減らす。
そして、いろんな方のブログを読み漁りました。
こういう病気とかのブログって書いてる方たくさんいるんだろうけど、
検索するとどうしても病院のページが上の方に来るじゃないですか?
なので個人の方のブログを見つける度に全部読んでました。
特に食生活について書いている方のブログを読み漁りました。
それから東洋医学の先生の本を読んだり、YouTubeで管理栄養士の方の動画をみたりして食事や腸について勉強しました。
私のバイブル本です。
私の中ではバセドウ病も潰瘍性大腸炎も免疫機能が正常に機能していない病気?という認識だったのでこの本はピッタリだ~(‘ω’)と思い即購入。
この本を読んで、ぴきーん!!と今までの出来事が一本の線で繋がりました。
音楽の先生が薬を飲まない理由も、友達に誘われた健康セミナーの方針もやっと理解できました。
まず、私の場合、薬飲みすぎ。
月の半分痛み止めを飲んでいましたし、アパレル時代はほぼ毎月抗生物質貰ってました。
人生30年ちょいで抗生物質と鎮痛剤どんだけ服用したんだ。。
どっちもお腹に大負担をかけていました。
抗生物質は腸内細菌を死滅させてしまうなんて私知らなかったんです、、😢ごめんな腸、、😢
それから一年以上寛解状態だったのに、永遠に飲み続けていたバセドウ病の薬もやめました。
この本を読んで、交感神経を地味に刺激し続けてるだけの状態なんじゃないか?と思ったんです。
潰瘍性大腸炎の薬も自己責任でやめました。でもなんかこの本を読んでいたら、私は既に難治化しているんじゃないか?と思って、もうずーっと再燃中だったし、食事気を付ければ今より悪くなんないだろう!と前向きな気持ちでやめました。
この本を信じて、潰瘍性大腸炎を根治させるぞー!と決めました。
(ちなみに別記事にも書きましたが私は西洋医学を否定しているわけではないです。
医学の進歩は素晴らしいです。なので本当に大変な時は頼ります。
このときは薬をやめたかったということです。
完全に薬否定派!!とかそういう極端な話ではないです。
私は自己責任で薬をやめましたが、皆さんは担当の先生に相談してくださいね。)
ここから重要なのが食事です。
海藻、キノコ、玄米、魚、野菜など食物繊維中心の生活です。
一番は本を読んでいただくことをお勧めしますが、要は免疫システムを活性化させるためには腸の働きがものすごく大事で、腸を働かせて免疫システムを動かすには食物繊維が重要だよ!
ということみたいです。
潰瘍性大腸炎で低残渣食すすめられて活動期は食物繊維はあんまりとらない方がいいよ~って言われた方たくさんいるんじゃないですか??
私も最初この本読んだときびっくりしましたが、確かになって思いました。
私がこの話をすんなり受け入れられたのは、ブログで食物繊維を積極的に摂っている方を何人かお見かけしたのと、
この話は別記事にも書きましたが、職場の同じ部署に潰瘍性大腸炎の方がいて、よく二人で「お腹痛いね」「俺、朝うんこ漏れてたよ」とか話してたんですけど
彼はいつも食べきりサイズのキャベツをバリバリ食べていたんですよ!!
「それはさ、低残渣食ではないよね?大丈夫なの?」って聞いたら
「野菜は食べないとだめだよ」って。
あ、逆にね???確かに。
たしかに野菜食べないでどうやって治すんだろうね。ってなんか納得しました。
それから、鶏肉以外のお肉もやめました。(今はたまに食べます。)
結局頑張って食物繊維摂っても、悪玉菌の餌入れちゃって悪玉菌に成長されたら”食事療法”になんなくなっちゃうなーと。
みなさん腸内フローラのことなどたくさん調べてご存じの方が多いと思いますが
7割いる日和見菌たちは、善玉菌・悪玉菌の多い方になびくから、善玉菌優位にしとかないといけないわけですわ。(‘ω’)
なので、食物繊維・発酵食品を摂取して、腸を元気にさせようという話です。(‘ω’)
ここからいろんな方の食事記録を拝見しつつ、私の身体に合う食べ物を探しながら食事療法を実施しました。
それから、軽い運動をするようになりました。
これも本を読んで頂くのが一番なのですが、すごく簡単に言うと自律神経を整えて体温を上げて免疫力を高めようという目的です。
私の場合は軽く散歩したり、ストレッチしたりです。
ここからは拝見したブログを参考に、青汁を試してみることにしました。
潰瘍性大腸炎だけじゃなくて不調がある方で飲んでる方が多いのでお気軽にやってみました。
私の場合は食事療法中の飲み物を水だけにして、いったんノンカフェインのお茶などもやめたので青汁が唯一の味変的な?感じでした。(語彙力すみません)
これお抹茶風味っていうだけあって本当にお抹茶みたいです!!
あ、ちなみに本当の本物のお抹茶の味は知らないのであくまで個人的意見です。
私、抹茶オレが大好きすぎて食事療法中の代替えとして無調整豆乳にこの青汁溶かして飲んでました。
本当に抹茶オレみたいでおいしいです!!(‘ω’)
まあ当たり前ですけど一日1~2袋までと決まっているので、摂りすぎ注意です。もっとがぶ飲みしたかった(‘ω’)
他のメーカーのも何種類か飲んでみましたが、こちらが気に入ったのでいつもこれを飲んでいます。
ただ青汁って粉っぽいのと、やっぱりそれぞれ味が全然違うのでいろいろ試してみるのもいいと思います(‘ω’)
あとは補助的に水溶性食物繊維(イヌリン)も摂取しておりました。
食事で必要摂取量摂れるならそれが一番いいと思います(‘ω’)
ただこれが結構なかなか難しいので、ちょこちょこ青汁に溶かして飲んでます。
これもいろーんな種類があるので色々試してみるのもいいと思います。
我が家は旦那くんがサプリマニアで、私がイヌリン欲しいと言ったらすでに家にあったのがNICHIGAの物です。
イヌリンについては他の物を試したことはないです。 だって家にすでにいっぱいあったから(‘ω’)
なのでイヌリン自体の良し悪しがあまりわかりません(^^;
ただ自分が使ってないものをお勧めしたくないので私はNICHIGAの物を使っています。という紹介のアレです。(‘ω’)
最近プロバイオティクス、プレバイオティクス、まあ要は乳酸菌、オリゴ糖、食物繊維とかすごく注目されててネットでもなんでもたくさん出てくると思います。
有名な誰かがいいよって言ってたとしても万人に合うっていうのはなかなか難しいと思います。
なので自分で試してみて自分で選択していくのがやはり一番大事だと思います。
一応購入できるようにリンク貼ってますが、ネットよくわかんないよ!こわいよ!っていう方は、本は本屋さんでも売ってるし、青汁は薬局でも売ってるのでご安心くださいな(‘ω’)
(イヌリンはすみません、いつもネットなので分からないです。;)
こうして食事療法開始後、最初の方は血便やら下血やら腹痛やらすごかったですし、本当に治るかな・・・?って途中で不安になりましたが1ヶ月すぎたくらいから、目に見えて出血量が減りました。
一番効果を実感した出来事は、おならがおならだけで出てきたときです。
これも別記事にありますが、おならだけが出るっていうのが、いつぶり?!というくらいひさしぶりで嬉しかったです。
これが一つの改善傾向の目安になりました。
1ヶ月半過ぎた頃には、あんなに毎日苦しめられていた腹痛がなくなりました。
うんこってみんな出るじゃないですか??
便意ってみんなあるじゃないですか??
けど我々ってもはや便意とかではなく、うんことかうんこじゃないものが腹痛とともにやってきて勝手に出てきちゃうじゃないですか??
それがなくなったっていうのが本当に嬉しいです。
明らかに生活の質が上がりました。
もちろん改善していく期間などは個人差があると思います。
それまでに飲んでいた薬やストレス状態、遺伝的なものも影響してくるかもしれません。
そういうときこそ、周りの人や、西洋医学の先生、東洋医学の先生、管理栄養士さんに相談してみたり、少しずつ良いとこどりする方法もあると思います。
これは私一人ではできなかったことで、
症状が治まらなくて不安な時はこのバイブル本の同じページをずーっと読んで
食事療法で症状が治まった方のブログを読んで、だいじょぶだぁと自分に言い聞かせて過ごしました。
それから職場の方々が協力してくれたのも大きいです。
グルテンフリーを勧めてくれたのも職場の女の子(めっちゃ可愛いまじで芸能人級の顔面の持ち主)で、「やってみたら~?」って軽く言われたんで、軽くグルテンフリーやってみっか~と思ってやったら、私にはめちゃくちゃ合ってました。
この時期肌荒れがすごかったんですけど、見事に治まりました。
肌荒れ治ったので腸にも良かったのかな?と思ってます。
この辺は本当に個人差あると思います。
あと、食事療法スタートと同時に、お弁当作るのやめてギリギリまで寝て睡眠時間を確保する生活に切り替えたんですけど、お昼は常に蕎麦屋に行ってたんですが、仲良しのスタッフと休憩が被ると蕎麦屋に一緒に行ってくれるのが地味に嬉しかったです(‘ω’)
都心だったので飲食店山ほどあるし、ぶっちゃけ休憩時間被っても、食べたいのもを食べたいから合わせる必要ないじゃないですか?
他にマックとか天丼とか韓国料理とかうどんとかパスタとかカレーとかラーメンとかステーキとかケバブとか思いつくであろうジャンル全部あるのに、
毎回蕎麦のヤツに合わせてくれるって優しいなって。(‘ω’)
食事療法がんばんなきゃなって。(‘ω’)
あちらはもしかしたら何も考えてないかもしれないけど支えになりました(‘ω’)
そして一緒にいる家族が協力してくれたのがいちばん大きいです。
旦那くんも私も甘い物も大好きだけど、私が食べられないお菓子を買ってくるのはやめて、美味しい巣蜜や干し芋を買ってきてくれました。
ちなみに彼は胃腸が強く、ステーキでもラーメンでもお腹下したことがないし、好きな食べ物はカレーやチャーハン。笑
仕事中は食べていたかもしれませんが、家では食べていなかったので本当によく我慢してくれたと思います。本当に感謝です。
今では容赦なく洋菓子とかアイスクリームとか買ってきますが。笑
今の食生活は他の記事にもありますが、基本的に食事療法の延長みたいな食生活を送っています。
普通にコンビニスイーツ食べるときもあるしラーメン食べるときもあります。
食べるときは美味しく頂いて、その後の食事は野菜を多めにとったりとか調整しつつ過ごしています。
一度、腸内環境が整えば、多少いい加減に食べても一気にまた腸内環境が悪くなるということはないと思います。
さすがに毎日ファストフードとか焼肉とかは厳しいですけど。笑
睡眠、ストレスなど他の要因も腸内環境を変えてしまう原因になりますので、自分で食事によって調整することが一度できればそれが自信になりますし、”食事で”調整できた”という事実で自分自身も安心できると思います。
ストレスとか睡眠不足とか結局頑張りすぎちゃっただけだし、遺伝的になっちゃっただけかもしれないし、とりあえず自分のことを責めるのはやめて、できたことだけを褒めるっていうところからスタートしてみるのがいいと思います。
私がブログを書こうと思ったのも、私が励まされたのと同じように、自分の経験が誰かの役に立つかもしれないと思ったからです。
これまでインスタもツイッターもやったことがない私が、ブログを書いてツイッターで発信するというのはすごく勇気がいることでしたが、とりあえずやってみることにしました。
万人に当てはまるということはないですし、みんなそれぞれ違いがあります。
だけどたった一人でも、ほんの少しでも、お役に立てればいいなと思ってこのブログを始めた次第です(‘ω’)
こんなに長い文章を最後まで読んで頂いて本当にありがとうございます。
今後ともよろしくおねがいいたします。
薬なし寛解期維持!お食事①
薬なし寛解期維持!お食事②
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